大須 ぴで土地レポ4

 

名古屋の観光と言えばまず大須になると思います。

名古屋飯、ファッション大体ここにあるとおもいます。

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ここから北へ行くと名古屋の繁華街、になります。名駅は徒歩では少し遠いので公共交通機関でいくのが良いと思います。

 

 大須商店街は大きくアーケードで雨が降っても全然大丈夫です。

大阪道頓堀のようにすごく大きいわけではないですが程よく大きくゆったりブラブラすると言うイメージです。

 

大須観音

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岐阜県羽島市大須に開かれ300年くらい後1612年に徳川家康尾張地区に新たな都市として名古屋を建設した際に、現在地に大須観音を移転させたと言われています。

日本3大観音の1つであり、東京、浅草観音、三重、津観音があります。

 

万松寺

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織田信長の父、織田信秀により1540年織田氏菩提寺として、那古野城の南側に建立されたと言われています。1610年に名古屋城を築く際に現在の大須3丁目に移建したと言われてます。

織田信秀の位牌に抹香を投げつけた事件は大須に移る前の万松寺が舞台と言われてます。

 

スガキヤラーメン

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これも名古屋飯の一つ。

でもこんなカラフルなスガキヤ初めて見ました。わたくしたち、小学生の頃よく食べに行きました。昭和の頃はデパートの中によくあり、ポツンと単独で建っていた記憶はないです。母親とリッチにデパートに行った時に食べる食事。

子供達で勇気を出して大人ぶって、

ラーメン食べに行こうぜ!と言う思い出のラーメンです。

青春の味なんです。

大人になって食べると、なつかしい、ただ2杯は食べれそう!と必ずみんな思っていました。

 

万松寺もかなり派手でびっくりしちゃいます。

御朱印も6種類あって人気があるみたいです。

 

信長さんと家康さんにお伝えしたいです。

 

昭和の子供達は大須と言えば、とにかく危険なイメージ。子供達だけで行くのは大変気合いをいれて、んー!ヨシっ!と。

相当な覚悟がある人たちか、

 

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こんな人たち。

まだありました。そして売ってました。 

やはり、やばい。

 

 もちろん今はオシャレでおいしいご飯屋さんがあり、カラフルでレトロで安全で自慢の街ですから。夜も1人歩きしても全然平気。

 昼飲み、食べ歩き、おすすめです。

見に来てください。名古屋を。