左脛骨骨折パート6

入院中、吹き出して笑ってしまったことがありました。それは60歳くらいのおじ様とまだ20歳代前半の何事にも一生懸命な初々しい看護師のやりとりです。

 何か欲しいものありますか?]

[パチンコ台]

    看護師 そんな余裕なくスルー。

[何か困ったことありますか?]

[このへんのパチンコ屋がわからん、たぶん迷子になるから場所、おしえてくれんか]

 看護師 無視に近いスルー。

[なにか、かぶれとかありますか?]

[んー、わしパチンコかぶれ]

流石に看護師さん大爆笑。わたしもそれにつられて、腹かかえてわらいました。

[そんなにパチンコがしたいんですか?]

[何年もやってない]

わたくしは思わずやってないんかい‼️

自分の孫くらいな子に、少しからかいながら、茶化すおじいちゃんと自分のペースを乱されて、すこし、めんどくさそうにする若い看護師さん。3人で大爆笑でした。ただこの日記を書いている時、いやーそこまでなんで笑えたんだろーと思いながら書いてました。これは、ボツブログかなとも思いました。ただこの時のわたしは、足の痛みはあまりなかったんですが、うまく歩けず焦っていた時期でもありました。歩き方をわすれちゃいました。どこか、足の張りがあり、歩きフォームが悪く、たまにズキン。どこかをかばいながら歩くから、反対の足が痛くなる。今、考えれば複雑な骨折から、まだ1ヶ月もたってない。しかも関節。全治3ヶ月と告知されているのに。医療従事者の方が、一生懸命サポートしてくれて、出来ないことが、出来るようになっていっているのにもかかわらず、自主練の時、上手くいかない自分にイラだっていた時期でもありました。       この時期にちょうどアスリートと呼ばれる選手たち。その人たちがケガをした場合、メンタルが相当キツイなーと思っていました。テレビを見ながらまたかーとか言われたり、代わりの選手がでて、ケガした選手のことをわすれ去られる恐怖。これは相当苦しいと初めておもいました。あせりしかないとおもいます。

からのこの会話。大部屋にはいろいろな人が入院されてきます。人それぞれ個性があります。でもわたしが入院しなければ、たぶんずっと出会わず、知らない方たち。仕事をしてると、その業種の方、その職種の関連の方、そーゆー方達としか出会いにくいので、視野が狭くなると思います。良い出会いです。これは何かの縁です。